ぶたの本棚

本の感想を中心に好きなものについて書こうと思います。よろしくお願いします。

食べたいという愛情表現-私、豚🐷が好きです-

私は豚🐷が大好きです。

豚っていうのは、勿論動物の豚のことです。

豚が好きですと言うとよく聞かれるのは、「豚肉食べれるの?」ということ。食べれます、好きです。

むしろ、「おいしい」というのは豚の魅力だと思っています。

今回は、自己紹介がわりにそんな私の豚好きの話をしようと思います。

多少長くなるかもしれませんが読んでいただけると嬉しいです。

 

さて、何故豚が好きなのか。

 答えは簡単。「食べてしまいたいくらい可愛いから💕」です。

 まんまるな体、小さなしっぽ、つぶらな瞳、愛らしい薄ピンク色.......短足でちょこちょこ歩き、ぷくっとした鼻で色んなものを押してみる姿.....嗚呼、可愛い!!!食べてしまいたい!!!!

ここでいう食べてしまいたい、という表現は本当に豚肉を食べることを指しているのではありません。

私は好きな動物を殺し食べることを喜ぶようなサイコパスな人間ではない....ハズです。

私は豚肉を食べるときに、リアルな豚が殺されて肉になる様子を想像したりしません。できません。

とても都合の良いことに、私の頭には可愛い豚さんが殺され加工され肉になって私が食べるという具体的なイメージがないのです。

普段可愛いと騒いでいる豚と、食用としてお皿に乗せられている豚肉は全くの別物として認識されています。

更に、私は豚が大好きなのであり豚肉が特別好きな訳ではありません。

肉なら牛肉や鶏肉のほうが好きです。

しかし、「食べられる」「おいしい」というのは豚の魅力だと思っています。 

何故なら、豚がおいしく食べられる生き物であるということは、私の妄想を掻き立てるからです。

 

 何を言っているんだこいつ、と思ったそこの君、もう少し聞いてあげてください。

「 食べてしまいたいくらい可愛い、好き」というのは、恋愛小説とかによく出てくる表現ですよね。

2次元の世界では多用される、ややエロティシズムを感じさせる愛情表現。

白く柔らかな肌、艶やかな黒髪、プルプルの唇、壊れてしまいそうな華奢な首筋......etc。
女性的な甘美も連想させられます。

また、可愛い赤ちゃんにお母さんが言う、みたいな微笑ましい場面にも登場する表現です。

最近のピンク色な漫画や小説でもよく見ますが、安倍公房や金子光晴谷崎潤一郎等の近代日本文学界の重鎮さんや海外作家さんもよく使っている、とても美しい愛の言葉。

使い方によって、そのニュアンスは大きく変わってきます。 

時にただ好きと書くだけでは伝えきれない愛を表し、時に比喩的にエロを表現し、時に少しだけ相手に意地悪なことをしたいというささやかなサディズム的な愛を表現する。

どんな風に使われていたとしても、共通しているのは直接的な言葉では表現しきれない、儚く強烈な思いを表現していること。

故に私は、この表現にどうしようもなく惹かれてしまいます。

ロマンチックだと思いませんか?

「食べてしまいたいくらい可愛い、好き」

現実でこんな愛情表現をするとややクサいかも知れません。

小説のなかだから、文章だから、空想の世界だから魅力的な美しさ。

嗚呼、素敵......。

 

まとめると、私にとって食べたいというのは最上の愛情表現なのだ!ということです。

 

私は豚をみたときに、豚が食べられる生物であることから、この表現を頭の中に思い浮かべます。

この可愛い豚ちゃんは、お肉になって食べられてしまう、とても美味しそうで少しかわいそうな子....! あぁ、可愛いくてちょっとだけ意地悪なことがしたい、食べてしまいたい........!

私が持っているささやかなサディズム的な嗜好や、庇護欲、甘美な表現への憧れ、などなどを全て満たしてくれる存在。食べてしまいたくなる可愛さをもつ最愛の生き物。それが豚なのです!!

だから私は美味しそうな豚が好きです。大好きです。

可愛らしい豚が好きです。大好きです。

想像力を掻き立てる豚が好きです。大好きです。

 

......引かないでください。変態ですよねちょっと怖い人ですよねヤバい人ですよね分かっています知っています...!

でも、私はこんな嗜好をもつ自分が嫌いじゃありません。

理解できなくても大丈夫です。面白がって下さい、笑ってやって下さい。喜びます。

 変態で変人で豚が大好きな女子大生、やのぶたです。

今後もブログにお付き合いして頂けると嬉しいです。よろしくお願いします🐷。