ぶたの本棚

本の感想を中心に好きなものについて書こうと思います。よろしくお願いします。

ほんの少しだけ、生きやすい世の中を-請願・陳情提出について-

世の中には、沢山の問題が溢れています。

戦争、貧困、労働、etc。

その多くは、私の力ではどうにもならないものばかりです。

考えれば考えるほど、世の中なんて。政治なんて。という思いにとりつかれます。

でも、そんな私の考えが変わる出来事があったので、今回はそれについて書こうと思います。

 

こんにちは、やのぶた🐷です。

今日は、私が以前から関わらせて頂いている請願、陳情書提出についてです。

ちょっと真面目な話になりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

皆さんは、こういう政治系の行動を起こす若者、というとどんな人をイメージしますか?

いわゆる意識高い系で、リーダーシップがあって、いろんなことに詳しくて.....みたいな感じでしょうか。 

残念ながら私は、これらとは正反対の人間だと思います。知的好奇心はあります。学ぶことは好きです。

が、とにかくコミュニケーションというものがものすごく苦手です。とくに、大人数と接していると心が折れます。

特別頭が良いわけでもありません。普通の、どこにでもいる大学生だと思います。

リーダーシップのかけらもありません。代表、という立場をやっていても、いつもオドオドどうしようと挙動不審になって周りに迷惑ばかりかけています。

 

しかし、そんな私でも。いや、そんな上手くいかないことの多い私だからこそ。

世の中への不満、みたいなものはたくさんあったんです。

本を読んでいて、なんて理不尽なんだ、なんてどうしようもない問題なんだと思うことも多々ありましたし、高校生の頃の恩師からも、そのような世界の問題について沢山教えていただきました。

 

このままの世の中では嫌だ。何かがおかしい気がする。でも、どうすれば良いのか分からない。

身近にあるのだと皆が口を揃えて言う政治というのは、実感としては手の届かないところにある。

高校生の頃から、様々なことを通して、「問題」のほうは私達の周りにいくらでも転がっているのに、「解決手段」はあまりないのだということを酷く感じていました。

 

きっともう、私みたいなごく普通の大学生にできることなんて殆どないのではないか。

そう思っていた大学入学当初に、とある社会人の方2名(FさんAさん)にお会いする機会に恵まれました。

彼らは私に、次のように言いました。 

 

「小さなところから変えていけばいいんじゃない?」

 

あぁ、成る程。この言葉がストンと胸に落ちてきました。

まずは目の前の小さな所から。

少しだけ、生きやすい世の中にしてみよう。

少しだけ、自分にも何か出来るかもしれないということを実感してみよう。

少しだけ、自分の気持ちを大人に伝えてみよう。 

 

そして動きはじめたのが、この請願・陳情書提出のプロジェクトでした。

目の前の小さな問題として、最初に目が向いたのが松本市の交通問題、特にバスに関するものです。

毎日のように遅れてくるバス。なかなか導入されないICカード

これらが解決すれば、もう少し生きやすくなるのではないだろうか?

 

Fさん、Aさんと信大の数人。そして私。

このメンバーで集まり、具体的に何をどうするかを話し合い続けました。そして辿り着いたのが、請願・陳情書の提出ということでした。

 

具体的な内容は、以下の通りです。

松本市内のバスに全国相互利用可能なICカードを早期に導入することを求める請願書の提出。

松本市内のバスにバスロケーションシステムという、スマホアプリでバスの居場所を見れるシステムを早期に導入することを求める陳情書の提出。

 

これらは、松本市にいつか導入されるらしいという話を聞いていましたが、いつになるのかが全く分からない。私達が請願・陳情書提出という形で利用者の声を届けることで、要望の強さを実感して貰いたかったのです。

 

SNSというのは、リーダーシップがなくコミュニケーション下手な私にとって、他の学生の意見を集めるために、とても有用な手段でした。

直接話しかける勇気など全くないけれど、メッセージを送ることならば、私にもできる。

どんな形でもいいので、この案に賛同し、少し手を貸してくれる方を、私達はSNSという文明の利器を利用することで集めました。

 

忙しい中でコメントを寄せて下さったり、情報を広めて下さった方々。そして一緒に提出や議会に行って下さった方々。本当にありがとうございました。

みなさんの助けがなければ、私は自信をもってこの書類を提出することはできませんでした。

 

そんなこんなで提出した陳情書は、昨日の市議会で無事採決されました。請願書のほうは、まだ正式な決定ではないのですが、よほどのことがない限り採決されると思います。

 

とりあえずはよかった。

しかし、私達の活動はこれで終わりではありません。

大学生の意見が議員さんに伝わり、採決された。これは素晴らしいことですが、まだ何も問題は解決していないのですから。

 

今回の採決をうけて、バス問題はどうなるのか。私達は、小さな目の前の問題を本当に動かすことができたのか。

注意して、見ていかなくてはなりません。

 

以上の一連の出来事を通して私は、本当の意味で近くにある政治というものを実感して見たかったのです。

代表者として欠点の多過ぎる私であっても、特別な能力がなくても。何かを変えられるかもと思いたかったのです。

 

まだ変えられたのかどうかは分かりませんが、ただ言えるのは。

少なくとも私の周りにある社会は、思っていたよりもずっと優しかったということです。

やってみたい、と無謀にも口にした私に、手を貸してくれる人、助言をくれる人、賛同してくれる人。いるものだなぁ、と。

 

だからもし、貴方に何かやりたいこと、変えたいことがあるのなら。自分の能力不足を理由に諦める必要は、多分ないです。意外とどうにでもなります。

 

長い文を読んでいただき、ありがとうございました。

昨日の議会の様子は本日(12/16)の長野県内各紙が掲載して下さっています。よかったらご覧下さい。

また、このプロジェクトは現在も次の問題に取り掛かろうと動いているので、もし興味が湧いた県内の学生がいましたら、お気軽にDM、リプなど下さい。詳細を送ります。

 

ではでは、次回はまた本紹介に戻るつもりです。ありがとうございました。やのぶたでした🐷。

10代の神様-辻村深月先生を語る-

中学生の頃。 辻村深月先生の作品を、私は他の誰にも好きだと言って欲しくありませんでした。

大好きで大好きで、彼女の物語が私のためだけに書かれたものであれば良いのにと思っていました。 

 おかしな話ですよね。

自分から、彼女の作品を何度も友達に紹介していたくせに、そんな行動とは裏腹に、独り占めしたくて仕方がなかったのです。

 

 こんにちは、やのぶた🐷です。

今回は予告通り、私が敬愛する小説家、辻村深月先生を紹介します。

 

「ツナグ」が映画化され、「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、とても有名になった辻村深月先生。

私が彼女の作品をはじめて読んだのは、中学生の時でした。

あの衝撃を、今でも忘れることができません。

中学生という多感な時期。私はコミュ症と対人恐怖症と人見知りを拗らせて(まぁ、今もですが😅)、あまり友人のいない寂しい子供でした。

そんな私の素晴らしい理解者となったのが、辻村深月先生の作品でした。

人間関係がまるで隣にあるかのようにリアルで、登場人物1人1人の気持ちが痛いくらい分かる。

これが、辻村先生作品の最大の魅力だと思います。

この人はこんなにも私のことを理解して、沢山の素敵な言葉を送ってくれている。この人の作品は、私のためにかかれたのではないか。私のためにあるのではないか。

年頃の女の子にそう思わせるのが、すごく上手いのです。

辻村先生の作品が好きだ、よく分かると言われることは同時に、私の心を覗かれているような気分に陥ることを意味していました。

誰かに私のことをもっと理解してほしい、でもそんなに簡単に分かるよとは言われたくない。私はそんなに単純な人間ではない。

好きだよと言われたい、でもあまりにも軽く言われると、貴方に何が分かるのと言いたくなってしまう。

そんな気持ちの葛藤がそのまま、辻村先生の作品を独占したい、誰にも好きと言って欲しくないという思いにつながっていたのですね。

今から思うと気持ち悪くすら思うほど、私は彼女の作品にのめり込んでいました。 

 

辻村深月先生は、直木賞を受賞したときのインタビューで、「自分のために書かれた本だと勘違いして読んでもらえたら嬉しいです」的なこと(正確ではありませんすみません)を語っています。
つまり先生は、意図してそういう物語を書いている。勘違いすることを許してくれている。
それを知ったとき、凄い小説家さんだと思うと同時に、滅茶苦茶嬉しかったです。一生忘れられない一言だと思います。

 

辻村先生の作品の魅力は、それだけではありません。

多くの作品がリンクしていて、思いがけないところで成長した登場人物に出会えること。

巧妙に張られた伏線によって引き起こされる、二重三重のどんでん返し。

これらも、彼女の作品の特徴であり、魅力です。

 

辻村深月先生の作品の中に、「スロウハイツの神様」という作品があります。この物語の中に、「十代の神様」という言葉がでてきます。

子どもの頃に酷く夢中になり、その人の人生に確かに影響を与えているけれど、ある時がくるとその興奮がふっと冷めてしまう。そんな作品のことを、十代の神様と呼んでいるのです。

私にとっての辻村深月先生は、きっと十代の神様なんだと思います。

今でももちろん、彼女の作品が大好きです。でも、時が経つにつれて、かつてのような興奮を覚えることは減りました。

辻村深月先生の作品の魅力自体は、これっぽっちも衰えていません。新作の「かがみの孤城」、素晴らしかったです。

だからこれは、私自身の問題なのだと思います。辻村深月先生は私の十代の神様で、私はそろそろ、その時期を抜けるんだろうな、と。

彼女の作品を読み返す度に、寂しいなぁと思うのです。

  

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたね、申し訳ありません。

最後に、個人的に好きな辻村先生の作品Best5を、好きな台詞と一緒に載せて終わろうと思います。

 

スロウハイツの神様

「自分の言った言葉っていうのは、全部自分に返ってくる。返ってきて、未来の自分を縛る。声は、呪いになるんだよ」

 

・ぼくのメジャースプーン

「人間って、絶対に他人のために泣いたりできないんだって。」

「自分のために一生懸命になってくれる誰かがいること。自分が誰かにとってのかけがえのない人間であることを思い出すことでしか、馬鹿にされて傷ついた心は修復しない」

 

・オーダーメイド殺人クラブ

「これからは余生だ」

 

・凍りのくじら

「そして、その光を私は浴びたことがある。誰も信じないかもしれないが、もう何年も前、私はそれに照らしてもらったことがあるのだ。同じ光を世界に届けたいから、私は写真を撮っている。」

 

・子どもたちは夜と遊ぶ

「君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世の中のどこかにいるんだよ。不幸にならないで。 」

 

ではでは、辻村深月先生の作品、是非読んでみて下さい🙏🏻

また来週。やのぶた🐷でした。

 

参考:講談社 出版  辻村深月

        ぼくのメジャースプーン

       オーダーメイド殺人クラブ

       凍りのくじら

       スロウハイツの神様

       子どもたちは夜と遊ぶ    etc

 

 

 

復讐は正義になれるのか?-「ぼくのメジャースプーン」-

想像してみて下さい。

もしも、貴方にとってすごく大切な人が理不尽に傷つけられたとして。

貴方にだけ犯人に復讐をする力があるとしたら。

貴方は復讐をしますか?

 

こんにちは、やのぶた🐷です。

今回は、大好きな本を紹介します。

 

タイトルは、「ぼくのメジャースプーン」。 

私が敬愛する辻村深月先生の作品から、万人受けしそうでかつ私がとても好きな作品をセレクトしました。

可愛いタイトルですが、食べ物🐷の話ではありません。シリアスな内容になっています。はじめに、簡単にあらすじを説明します。

 

この物語の主人公は、小学生の男の子。彼には幼馴染の女の子、ふみちゃんがいます。

ふみちゃんは、主人公にとっては「友達だけどちょっと憧れ」な魅力的な女の子ですが、一般的にはそうではありません。頭が良く、真面目で冴えない大人しい女の子で、友達もあまりいません。

そんなふみちゃんは、学校のうさぎに餌をやることが他の何よりも楽しいのだと主人公に寂しげに笑いかけます。

ある日、ふみちゃんが何よりも大切にしていたうさぎがとても残酷な方法で殺され、ふみちゃんはその悲惨な光景を誰よりも最初に見つけてしまいます。

さらに、ふみちゃんがうさぎを見つける様子は犯人によって盗撮され、インターネット上で拡散されてしまいます。

その結果ふみちゃんは、ネット上で容姿をひどく批判されます。

そして、大好きなうさぎの死体をみせられ、よく知らないたくさんの人の罵声を聴いたふみちゃんは、事件の後遺症でPTSDになり、声が出なくなってしまうのです。

しかし、事件の犯人に与えられた罪は器物損害。

うさぎを殺し、ふみちゃんの心を壊した罪は、窓ガラスを割ったのと同じ重さ。 

そう考えた主人公は、納得することができない。

そんな主人公には、少し不思議な力があります。彼は、誰に対してでもたった一度だけ、自分の言うことをきかせることができるのです。

色々あって、主人公は犯人と会う機会を得ます。

力を使えるチャンスは、そのたった一回だけ。

犯人に与えられる罰は、たった一つだけ。

どんな罰を与えるのが正しいのか?何もしないのが正しいのか?復讐は正しいのか、正しくないのか。

正義ってなんだろう、罪ってなんだろう、罰ってなんだろう。

一週間、主人公は秋山さんという大学教授と一緒に、これらの大人にも難しい問いを考え続けます。

最後に彼が出した答えとは何なのか、ふみちゃんは声を取り戻すことができるのか、犯人にはどんな裁きが下されるのか。

 

......と、いうような話です。簡単にとかいいつつ長くなりましたね。ごめんなさい。

ここまで読んでくれた貴方、凄い忍耐力だと思います、うん。せっかくここまで読んでくれたのだから、ほら、あと少しお付き合い下さい🙏🏻

 

この物語の魅力は、力という非現実的な要素を使っていながら、ひどくリアルな物語であるところにあります。

ネットの使い方を間違えた人による心ない誹謗中傷、軽い気持ちで生き物を殺してしまう犯人。この現代で、いかにも実際に起こりそうな事件ですよね。

事件を通して描かれる人間関係や主人公の葛藤も、まるで彼らが隣で生きているかのようにリアルで、共感せずにはいられません。

リアルであるから、この物語を読んだ貴方は多分、沢山のことを考えると思います。世の中の理不尽とか、どうにもならない壁とか、復讐の是非とか、そういったことについて。

辻村先生が用意した結末は、とても衝撃的なものです。

この物語を読み始めたら、必ず最後まで読んで下さい。最後まで読みきらなければこの物語の魅力は分かりません。飛ばし読みもダメです。

主人公がふみちゃんをどんなに大切に思っていたのか、秋山教授はどんな大人なのか、ふみちゃんがどんなに素敵な女の子なのか。

丁寧に描写されているからこそ、最後のシーンが心に響きます。かったるく思うかもしれませんが、ちゃんと読んで下さい。

辻村先生の作品全般の魅力でもある少しのどんでん返しが、とても効果的に使われています。 

何度読み返しても泣いてしまう。そんな素晴らしいシーンに出会えるでしょう。

(私はもう数え切れないくらい泣いています🙏🏻)

 

私にとって辻村先生はとても特別な作家さんです。敬愛しています。

今の私があるのは、彼女の本に出会ったからだと言っても過言ではないと思っています。

そんな彼女の作品達の魅力について話始めると、とてもとても長くなるので、今回はこのくらいにしておきます。

また、来週か再来週あたりに書くかもです。

 

ではでは、最後までお付き合い下さりありがとうございました🙏🏻🙏🏻🙏🏻

ぼくのメジャースプーン、是非読んで下さい。感想を語り合いましょう!

また来週(たぶん)。やのぶたでした。🐷

 

参考: 「ぼくのメジャースプーン」 辻村深月 著  講談社 発行

 

 

 

 

 

 

 

 

食べたいという愛情表現-私、豚🐷が好きです-

私は豚🐷が大好きです。

豚っていうのは、勿論動物の豚のことです。

豚が好きですと言うとよく聞かれるのは、「豚肉食べれるの?」ということ。食べれます、好きです。

むしろ、「おいしい」というのは豚の魅力だと思っています。

今回は、自己紹介がわりにそんな私の豚好きの話をしようと思います。

多少長くなるかもしれませんが読んでいただけると嬉しいです。

 

さて、何故豚が好きなのか。

 答えは簡単。「食べてしまいたいくらい可愛いから💕」です。

 まんまるな体、小さなしっぽ、つぶらな瞳、愛らしい薄ピンク色.......短足でちょこちょこ歩き、ぷくっとした鼻で色んなものを押してみる姿.....嗚呼、可愛い!!!食べてしまいたい!!!!

ここでいう食べてしまいたい、という表現は本当に豚肉を食べることを指しているのではありません。

私は好きな動物を殺し食べることを喜ぶようなサイコパスな人間ではない....ハズです。

私は豚肉を食べるときに、リアルな豚が殺されて肉になる様子を想像したりしません。できません。

とても都合の良いことに、私の頭には可愛い豚さんが殺され加工され肉になって私が食べるという具体的なイメージがないのです。

普段可愛いと騒いでいる豚と、食用としてお皿に乗せられている豚肉は全くの別物として認識されています。

更に、私は豚が大好きなのであり豚肉が特別好きな訳ではありません。

肉なら牛肉や鶏肉のほうが好きです。

しかし、「食べられる」「おいしい」というのは豚の魅力だと思っています。 

何故なら、豚がおいしく食べられる生き物であるということは、私の妄想を掻き立てるからです。

 

 何を言っているんだこいつ、と思ったそこの君、もう少し聞いてあげてください。

「 食べてしまいたいくらい可愛い、好き」というのは、恋愛小説とかによく出てくる表現ですよね。

2次元の世界では多用される、ややエロティシズムを感じさせる愛情表現。

白く柔らかな肌、艶やかな黒髪、プルプルの唇、壊れてしまいそうな華奢な首筋......etc。
女性的な甘美も連想させられます。

また、可愛い赤ちゃんにお母さんが言う、みたいな微笑ましい場面にも登場する表現です。

最近のピンク色な漫画や小説でもよく見ますが、安倍公房や金子光晴谷崎潤一郎等の近代日本文学界の重鎮さんや海外作家さんもよく使っている、とても美しい愛の言葉。

使い方によって、そのニュアンスは大きく変わってきます。 

時にただ好きと書くだけでは伝えきれない愛を表し、時に比喩的にエロを表現し、時に少しだけ相手に意地悪なことをしたいというささやかなサディズム的な愛を表現する。

どんな風に使われていたとしても、共通しているのは直接的な言葉では表現しきれない、儚く強烈な思いを表現していること。

故に私は、この表現にどうしようもなく惹かれてしまいます。

ロマンチックだと思いませんか?

「食べてしまいたいくらい可愛い、好き」

現実でこんな愛情表現をするとややクサいかも知れません。

小説のなかだから、文章だから、空想の世界だから魅力的な美しさ。

嗚呼、素敵......。

 

まとめると、私にとって食べたいというのは最上の愛情表現なのだ!ということです。

 

私は豚をみたときに、豚が食べられる生物であることから、この表現を頭の中に思い浮かべます。

この可愛い豚ちゃんは、お肉になって食べられてしまう、とても美味しそうで少しかわいそうな子....! あぁ、可愛いくてちょっとだけ意地悪なことがしたい、食べてしまいたい........!

私が持っているささやかなサディズム的な嗜好や、庇護欲、甘美な表現への憧れ、などなどを全て満たしてくれる存在。食べてしまいたくなる可愛さをもつ最愛の生き物。それが豚なのです!!

だから私は美味しそうな豚が好きです。大好きです。

可愛らしい豚が好きです。大好きです。

想像力を掻き立てる豚が好きです。大好きです。

 

......引かないでください。変態ですよねちょっと怖い人ですよねヤバい人ですよね分かっています知っています...!

でも、私はこんな嗜好をもつ自分が嫌いじゃありません。

理解できなくても大丈夫です。面白がって下さい、笑ってやって下さい。喜びます。

 変態で変人で豚が大好きな女子大生、やのぶたです。

今後もブログにお付き合いして頂けると嬉しいです。よろしくお願いします🐷。

はじめまして。

はじめまして。ぶた🐷が大好きな田舎の女子大生です。

 

私は読書がとても好きです。

が、ちょっと良いなと思った本でも3日経つと感動を忘れてしまう頭の悪い人間です。

なんだか勿体無いなぁと思っていたら、ブログを勧められました。

勿論ノートとかに記録して自分が読むだけでも充分かもとか思ったりもしたのですが、が、が.........!

やはり、好きなものについては色んな人に紹介したいし語りたい。

なので、好きな本や読んだ本の感想をぼちぼちここに書いてみようと思っています。

他にも、ぶた🐷や絵を描くこと、カフェや博物館巡りとかも好きなので、そんな趣味についても書けたらいいなぁと思っています。

とても飽きっぽいのでいつまで続けられるか分かりませんが、暇なときにでもお付き合い頂けると幸いです。

 

よろしくお願いします。🐷

 

                            2017/11/ 16/  やのぶた